真言宗御室派 紫雲山 葛井寺

      2017/01/22

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豊臣秀頼によって建立された旧南大門は西門として移築されており、
現在の南大門(写真↑)は1800年(寛政12年)江戸期の建立だそう。
この門の両脇の仁王像はやや迫力に欠ける印象。

山号額には「紫雲山」と書かれている。

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こちらの葛井寺は自宅からちょうど6kmの距離にあるため、参拝を兼ねた往復12㎞約1時間のランニングを週3,4本しているのだが、まだ一度も当寺のご本尊、十一面千手千眼観世音菩薩像を拝観したことが無かったので、今回はご開扉の18日に合わせて訪れた。

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歴史

葛井寺は、紫雲山三宝院剛琳寺と号し、剛琳寺ともいう。古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立された。寺蔵の葛井寺参詣曼荼羅をみると、東西に塔をもつ薬師寺式の伽藍配置をとっていたことがわかる。
飛鳥時代から奈良時代にかけては、全国各地で有力な氏族が、仏教興隆を奉じて競って氏寺を造ったが、葛井寺もその一つ。葛井氏は、6世紀に活躍した渡来系の王辰爾の甥の胆津を祖とし、日本書紀によれば、吉備の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績で白猪氏の姓を賜った。その後、葛井と改め、一族の葛井連広成が葛井寺を創建したと伝わる。
また、藤井寺という地名は、のちに大和在住の藤井安基が葛井寺の荒廃を嘆き、その復興に尽力したことから生まれたといわれる。

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ご本尊

十一面千手千眼観世音菩薩像
本堂宮殿内に安置される当寺の本尊像。毎月18日以外は開扉されない秘仏。8世紀半ばごろの作で、八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、総高は246.0cm(像高は144.2cm)。頭上に十一面をいただき、合掌手を含む四十の大手と千の小手をそなえ、一掌ごとに一眼をもつ。合掌する本手を含む本体は大陸から伝来した脱活乾漆造(麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)で、これに木心乾漆造の大小手(脇手)を組み合わせた構造。
日本に現存する千手観音像としては最古のものの一つ。脇手の一部、頭上面の一部、持物のすべて、台座蓮弁の大部分などを後補とする。彫像の千手観音像は40本(合掌手2本を合わせて四十二臂)で「千手」を代表させるものが多いが、本像のように実際に千本の手を表現する千手観音像は少ない。
本像は、寺伝によれば、神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願によって稽文会・稽首勲(けもんえ・けしゅくん)の父子が制作し、行基が開眼したものと伝える。

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文化財

国宝
乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像) - 1952年11月国宝指定

重要文化財
四脚門(西門)

その他の文化財
木造聖観音菩薩立像 - 平安時代。本尊の右に安置。
木造地蔵菩薩立像 - 平安時代。本尊の左に安置。
石灯籠 - 鎌倉時代。本堂裏の庭園にある。
金銅宝塔(舎利塔) - 鎌倉時代

~ウィキペディアより引用~

札所

西国三十三所第五番
河内西国三十三所特別客番
神仏霊場巡拝の道 第59番
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本堂は延享元年(1744年)に起首、30余年におよぶ難工事の末、安永五年(1776年)に完成。

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こちらが重要文化財の四脚門。
慶長6年(1601年)豊臣秀頼によって建立された旧南大門。その後、天明五年(1785年)に西門として移築された。


所在地:〒583-0024 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目
アクセス:近鉄南大阪線 藤井寺駅下車南へ徒歩5分ほど
拝観時間:8時~17時
拝観料:毎月十八日のご本尊開扉日のみ 300円
公式サイト:http://www.geocities.jp/saikoku33_5/

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