ティボー・リジェ・ベレール 来日セミナーレポート その1

      2016/04/27

img59841171元々リジェ・ベレール家はナポレオンに仕えた貴族で、18世紀からラ・ロマネやリシュブール、クロ・ド・ヴージョなど、綺羅星のようなグラン・クリュやプルミエ・クリュを数多く所有していた。しかし1982年にワイン造りを担ってきたグザヴィエ・リジェ・ベレール氏が亡くなってからは誰もその跡を継がず、一族はパリで暮らしながら畑を他の生産者に貸し出し、造られたワインを引き取っては「リジェ・ベレール」のエチケットを貼り販売。
そんな状況を嘆いていたのが、ティボー・リジェ・ベレール氏。「いつかは自らの手で一族の偉大な畑からワインを造りたい。」と熱い想いを募らせ、16歳でボーヌの醸造学校に入った後、マコネで経済学、ボジョレーで醸造学を学び醸造者としての知識や技術を習得後、フランスのインターネット会社でワインのバイヤーとして働いていた。その後、広い知識や経験を活かし、分益耕作農家に貸していた畑の醸造に携わるようになる。そして26歳と言う若さながらロマネ・コンティから僅か50mという好立地のリシュブールやクロ・ド・ヴージョ、広大なニュイ・サン・ジョルジュ レ・サン・ジョルジュなどを含む素晴らしい畑を財産として相続し念願の自身のドメーヌを設立した。

初リリースは2002年。その僅か3年後の2005年ヴィンテージのリシュブールに、世界的に著名なワイン評論家ジャンシス・ロビンソン氏が、ロマネ・コンティと全く同じ評価19+点をつけたことで一躍トップ・ドメーヌの仲間入りを果たす。

由緒あるテロワールを鮮やかに蘇らせ、世界屈指の生産者として名を上げたティボー氏。現在ではドメーヌのフラッグシップキュヴェであるニュイ・サン・ジョルジュ レ・サン・ジョルジュのグラン・クリュ昇格への旗手として、ニュイ全体の地位向上のため、フェヴレやアンリ・グージュと共に活動を続けている。

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先日、ブルゴーニュの若手実力派、ティボー・リジェ・ベレール氏が約2年半ぶりに来日。
本拠地となるニュイ・サン・ジョルジュから生まれるピノ・ノワール、
そして2009年よりスタートしたムーラン・ナ・ヴァンのガメイに焦点を当てた
“レ・ドゥー・テール(2 つの土地)”セミナーを開催した。

今回はその内容を3回に分けてお届けする。
いつもながら資料を元に多少のアドリブをきかせている事ご了承頂きたい。

開催日 2016年 4月 20日( 水)
会 場 アルモニーンブラッセ大阪
時 間 セミナー 14:30~16:00
講 師 ティボー・リジェ・ベレール氏

ワイン
Bourgogne Les Deux Terres 2013
Nuits-St.-Georges La Charmotte 2012
Nuits-St.-Georges 1er Cru Les Saint-Georges 2012
Moulin-à-Vent Les Rouchaux 2012
Moulin-à-Vent Les Vieilles Vignes 2012
Moulin-à-Vent La Roche 2012
Moulin-à-Vent les Vignes Centenaires 2012P1190814

ドメーヌ・ティボー・リジェ・ベレール
“レ・ドゥー・テール” セミナー

P1190779本日は皆様に私共ドメーヌの歴史とワイン、
ニュイ・サン・ジョルジュ以外に現在6ヴィンテージを数える
ムーラン・ナ・ヴァンのワインをご紹介させて頂きます。

私共リジェ・ベレール家はブルゴーニュでも大変長い歴史を誇り、
それは18世紀にまで遡ります。

リジェ・ベレール家は代々ネゴシアンのビジネスをしていました。
その間、ヴィニュロンは私共の家系にはおりませんでした。

リジェ・ベレール家はナポレオンに仕えた貴族階級でしたので
農家の仕事をするということは、当時は考えられないことでした。
また、息子の仕事は父が決めることになっていました。
長男は当主になり、次男は騎士になる・・・そんな時代でした。

私はこのファミリーの9世代目になりますが
私の父はワインとは全く関係のない、金融の仕事をし、
曾祖父と祖父がネゴシアンの仕事をしていました。

当時、所有していた畑はすべて栽培家に貸していました。
ニュイ・サン・ジョルジュとヴォーヌ・ロマネで最大級の畑を所有し、
畑の規模は25ヘクタールでした。
その周りの畑のブドウも購入しておりましたので、
18世紀から19世紀にかけて、最も高貴なネゴシアンの会社だったと言えます。

12719526_1579304468974824_1645701377963038008_oこちらはニュイ・サン・ジョルジュの中心街にある、
私が今実際に住んでいるメゾンです。

私はパリで生まれ育ち、13歳までずっとパリに住んでいました。
その頃、週末毎にニュイ・サン・ジョルジュの祖母のところに遊びに行っていました。
ただ、祖母とは60歳も年が離れているので、一緒に過ごす時間がつまらなくなると、
家の表側にある、父の友人に貸していたカーヴに遊びに行き、
そこでワインのテイスティングや畑の作業を見、教えて貰っていました。
そういった経験は、私のワインへの情熱を高めてくれました。

そして私は1991年から1996年にかけて醸造学を学び、
18世紀からファミリーが所有するドメーヌを自分で経営し、
所有している畑を取り戻し、自らワインを造りたいという思いを強くしました。

2001年に自分で実際にドメーヌを始めた際、60年前より貸していた畑のうち、
4.5ヘクタールを自分のところに戻しました。
しかし、畑の土壌は活気がなく大変悪い状態で、色は灰色でした。

試行錯誤を繰り返しながら、いろいろなワインをテイスティングしていくうち、
ビオロジックで造ったワインの味わいが素晴らしいと感銘を受け、
私もビオで栽培しようと心に決めました。

そしてビオで栽培を始めましたが、次第に何かが足りないと思い始めました。

ビオという栽培方法には少し決まりがあります。
ただ、そういった決まり事を私は守ってやっていくタイプではありません。

土壌や畑に様々なアプローチを繰り返していく中、色々な出会いもありまして
2004年からは、ビオディナミでやることを決めました。

ですがビオディナミをやったからといって、魔法のように全てうまくいく訳ではありません。

ビオディナミは土壌と葡萄木、環境のバランスを取るということです。
この方法によって化学肥料を使わなくても、葡萄木が自力で活力を得、
イキイキと育っていくことを助けていくというやり方なのです。P1190780これは牝牛の角の中に牛糞を入れ、
8ヶ月間、土の中に埋めてコンポストにしているものです。

これを撒くことによって土壌の中の微生物の活動が活発になります。
これはビオディナミのプレパラシオン、500番という調合番号になります。

牛糞を撒くといっても、1ヘクタールあたり100gです。
この少量を与えるだけでも土壌の活動を助けることになります。

それと同時にハーブも使って葡萄木の活力を高めています。P1190781左側にあるものがアスピリンのような役目をしてくれます。
右側にあるのがカモミールです。
こちらも葡萄木に活力を与える役目をしてくれます。

人間の体調と同じように、葡萄木も何らかで表現してくれますので
栽培家の役目は、しっかりと観察をし、状況を見極めるということです。
そして、できるだけ介入を減らすということ。

あまり早く処置をしないでゆっくりと見守り、
化学物質を使わなようにサポートしていくということです。P1190782そしてこの写真にありますように
いろいろなプレパラシオンを自分で実際に用意しています。

忘れてはいけないことは、
土壌と葡萄木の周りにある環境とうまく付き合っていくということです。
だから私は雑草を雑草とは呼びません。良い草という風に考えます。P1190783写真はリシュブールの畑です。
右側にあるのが私の畑になりますが、どちらもビオロジックで育てられています。
同じビオロジックといっても、育て方や考え方が違うということが分かると思います。

私の考えは土壌に何か草が生えていたら、それは生える理由があると考えます。
ですので、その存在がその土壌や葡萄木に良い影響を与えると考えています。

そのような考えをもってニュイ・サン・ジョルジュでブドウを育てています。

そして2008年、ブルゴーニュ以外でもブドウを育てたいと思い、
ムーラン・ナ・ヴァンに畑を購入しました。

(続く)

ティボー・リジェ・ベレール 来日セミナーレポート その2

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